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3月, 2016の投稿を表示しています

祝福に行こう?

子鹿さんのブログ を皮切りに、いろんなところで取り上げられている家庭詐欺連合の動画、「祝福に行こう!」ですが、私も感想を一言、旧約聖書の聖句から。 箴言/ 11章 22節 美しい女の慎みがないのは、金の輪の、ぶたの鼻にあるようだ。 

アメージング・グレースと奴隷貿易

「アメージング・グレース」の歌詞はイギリスの牧師 ジョン・ニュートン が作詞したもので、彼が54歳のとき(1779年)に出版した「オウルニィの讃美歌集」に収録されました。今のメロディーが生まれたのはアメリカで、1829年という説と1831年という説があります。 彼の人生の前半は、一言でいうと 「放蕩」 でした。内的にも外的にもそれはそれは、ひどい人生です。海軍に強制徴募されてから、彼の人生は転落の一途をたどります。脱走に失敗したのち、商船に乗ることになりますが、彼自身の放埓な生活は、さらに悪くなっていきます。神様の道からどんどん離れて行ってしまいます。

もはや家庭連合の信仰は旧約以下か?

先週書いた記事、 「告発:真の父母様の許諾を得たはずの本部聖殿建設は宙に消えたのか?」 について、再度簡単にまとめますと、ここで家庭連合の問題点は大きく二つあります。 真の父母様との約束を守らなかったことによる、真の父母様に対する不従順、心情蹂躙の疑い。 献金者の精誠が無為に帰す結果をもたらし、その心情を蹂躙した疑い。 まず、現時点で本部聖殿ができてないことは、事実として明らかなことですが、次に問題になるのが果たして本部聖殿を作る気があるのか?という点になります。

ホセアと姦淫の女ゴメル - お父様はお母様を赦しておられます

さて、最近、天聖経を開いていますと、妻が「昔はぜんぜん見なかったのにね」などと挑戦的な言葉をかけてきます。確かに天聖経はそれほど読んでいませんでしたので、それは少し反省しなければならないでしょう。 しかし、自分なりには理由があって原理講論や聖書を中心に読んでいたのです。自分にはそれが必要だと思っていました。特にお父様の聖和後、教会の様々な改革に空虚感を覚え、原理講論を読み、聖書を読みふけりました。原点に返る必要があると感じていました。 振り返ると、数年間、教会学校で説教を担当していたころ、それまで以上に聖書に親しむことになりました。「小学生には聖書から教えなさい」 というのが方針だったと思います。中には「聖書なんか読まなくても良い、お父様のみ言だけ読めば良い」とおっしゃる方もいました。しかし、真のお父様ご自身が青年期までに聖書がボロボロになるまで何度も読まれ、研究されたのです。

告発:真の父母様の許諾を得たはずの本部聖殿建設は宙に消えたのか?

まず、事実関係を中心に記します。 2009年6月3日に真の父母様が神殿建設を許諾 されたということで、同年6月8日、 日本統一教会本部聖殿建設の摂理 がスタートしました。摂理とはつまり本部聖殿という施設の建設資金のための献金を集めることです。 この本部聖殿建設に関しては、その摂理的意義の解説ということで、白井康友氏による摂理解説のビデオが制作され、日本の全食口が視聴したのではないかと思います。今もこの映像はKMSで公開されており、その説明文は以下のようになっています。 「韓国の長成級天福宮に相対する、日本の長成級統一教会本部聖殿が必要となり、6月3日、真の父母様が聖殿建設を許諾されました。」(「今日の摂理解説第16回『日本統一教会本部聖殿建設』の摂理的意義」)講師:白井康友

三日行事の内容を天聖経から省いた家庭詐欺連合

今回の記事のきっかけとなったのは、「洋介のブログ」の記事 「家庭連合では、祝福式の後、一世が家庭を出発するとき、三日儀式をやらなくて良いようになったと聞いた。」  です。 そのタイトルの通りの内容ですが、ご本人のコメントでは確認がとれた話ではないとのことのようです。 敬愛する「原理講論を読む」ブログでも こちらの記事(お母様は三日行事廃止を主張されたという(以下略)) で取り上げていらっしゃいますが、事実関係についてはやはり不明のようです。 私自身が確認した限り、現時点で家庭連合内の一般食口や一般公職者レベルではそのような話は出ていない模様です。ですのでこの記事もわかっている事実に基づく考察レベルのものとなります。 さて、私が注目したのは、家庭詐欺連合が「天一国経典 天聖経」と呼ぶ「天聖経」には 三日行事の記述がない ことです。オリジナルの天聖経(家庭詐欺連合がいうところの八大教材・教本 天聖経)では約2ページに渡って詳細に記載されています。場所は以下のところになります。

2009年7月23日に亨進様が語られた「七死復活」のメッセージ(抜粋)

2009年7月23日に亨進様が語られた「七死復活」のメッセージの抜粋をアップします。 ------------------------------ その晩(7月14日)、私は啓示を受け、お父様が七回も地獄に降りて行かれたことが分かりました。お父様が霊的に地獄に降りて行かれて、そこで拷問を受けている多くの人々を抱き締めながら、「これは私の子供たちだ。この子たちを引き裂く代わりに、私のメシヤとしての霊魂とそして肉体をサタンに差し出すので、この子たちの代わりに私を打って引き裂いてくれ」と、そのようにおっしゃるのを私は聞きました。 「私の体を引き裂いて引き裂いて、また引き裂け」と言われながら、お父様は血を流しておられたのです。

家庭詐欺連合がッ 悔い改めるまで 批判するのをやめないッ!

阿部美樹氏による 真のお母様の生涯とサンクチュアリ教会問題 について、追加の内容です。 私の事細かな批判に対して、「確かに説得力はあるかもしれないが、家庭連合の多くの人は何も考えずにただ信じている人が多いからあまり効果がないのでは?」という方もおられます。しかし、これはそれだけの問題ではないのです。家庭詐欺連合の間違った批判の内容は、今なおネット上から消されることはありません。それを看過してはならないのです。 家庭詐欺連合の幹部が憎いから批判するのではありません。何の落ち度もない亨進様が侮辱され、真実が捻じ曲げられ、み言が冒涜されるのを黙ってみていられない、それだけです。たとえ誰にも読まれなくても構いません。霊界が見て聞いていると信じています。 では、以下のスライド、キャプチャー画面をご覧ください。

家庭連合の動画「天の父母様と真の父母様」の問題点を斬る!

松波孝幸氏 家庭詐欺連合が2016年2月29日に公開した 「天の父母様と真の父母様」 について、問題点を分析してみたいと思います。講師は 松波孝幸氏ですが、内容は アンドリュー・ウィルソン博士とタイラー・ヘンドリックス博士の講義の内容のポイントであるということです。 まず、次の松波講師の説明の引用文とスライドをご覧いただきましょう。 「聖書の中にそして私たちの表現の中には 天のお母様に対する表現は不在 でありました。ここには歴史的に色々な意味が背後にございます。 堕落以後、エバが本然の価値を失って人間の堕落の最初の道を開いてしまったためにその蕩減の課題を背負ってエバが非難を受けてきたということもございます。 また、男性が力を持つようになり、エバが完全に男性の主管圏に入ってしまったためにサタンの主管圏に男性を通じて入ってきたためにエバを、新婦を探すことができなかったと。地上で 天のお母様が現れることのできる基盤 を立てることができず、長い歴史を通じてその時を待ってきたんだということができます。」

アーミッシュの自給自足、自己犠牲、そして天一国の自己防衛権(後編)

 アーミッシュの自給自足、自己犠牲、そして天一国の自己防衛権(前編) からの続きです。 赦しと平和と自己防衛 アーミッシュは徹底した平和主義者です。兵役も拒否したため第二次世界大戦中は暴行を受けたり、投獄されたりすることになりました。喧嘩や言い争いはもちろん、訴訟も禁じられています。 彼らの平和主義、自己犠牲の精神を表しているとも言える事件がありました。2006年10月2日に起きた ニッケルマインズの銃撃事件 です。銃を持った非アーミッシュの男がアーミッシュの学校に立てこもり、結果的に5名のアーミッシュの少女が死亡、その他複数が重症を負い、犯人はその場で自殺しました。

アーミッシュの自給自足、自己犠牲、そして天一国の自己防衛権(前編)

2016年3月6日の亨進様の説教 で、アーミッシュのことが出てきました。 以前ペンシルベニアのことを調べているときにアーミッシュのことも気になっていたので、いろいろと調べてみました。ここでは、アーミッシュについての簡単な紹介と亨進様の説教で強調されていた彼らの「自給自足」の生活などについて少し紹介してみたいと思います。 今回、私が参考にしたのは、「アーミッシュ」(著者:堤純子、出版社:未知谷) という書籍です。 アーミッシュの歴史 宗教改革が起こった16世紀はじめに、再洗礼派のスイス兄弟団と呼ばれる人々がローマカトリック教会の厳しい迫害に追われながら活動していました。再洗礼とは幼児洗礼を否定し、自分たちの自由意思で互いに洗礼し合って初めて真のクリスチャンになるという考えから出たものです。 初期の再洗礼派は武装してカトリック教会と戦っていましたが、メノ・サイモンズ(シモンズ)という元カトリック司祭が非暴力を訴えて彼が中心となり、彼らはメノナイト(メノナイト派は現在も存続しており、日本にも教会があるようです。)と呼ばれるようになります。そして、その後、ヤコブ・アマンという主教が教義違反者の処遇をもっと厳しくすべきだと主張してメノナイトから独立する形でアーミッシュを設立しました。

米家庭連合マイケル・バルコム会長はお父様の「過ち」を認めていた?!

今回も、阿部美樹氏による 真のお母様の生涯とサンクチュアリ教会問題 に対する分析と考察を進めてみたいと思います。 まず次の画面、スライドをご覧ください。(表示が小さい場合はクリック) ここで指摘しなければならないのは、彼らが勝手に「サンクチュアリ教会の見解」として「メシヤはお父様であり、お母様は服従するだけの存在」としている点です。批判するのもばかばかしくなってきますが、このような主張は亨進様の説教で聞いたことはありません。今までの説教はすべて動画として公開されていますし(家庭詐欺連合によって削除されたものは音声だけになっているものもありますが)、ほとんどが日本語に翻訳されているので、いつの説教のどの部分でそういっているのかを示すべきではないでしょうか?これは 捏造 であり、亨進様の主張を故意に曲解して誤った情報を植え付けようとする 情報操作 であり、 心理操作 です。

家庭詐欺連合の天一国憲法に物申す

私は法律の専門家ではありませんが、それでも家庭詐欺連合の天一国憲法は非常に怪しいものだと感じます。重要なポイントと思われる点だけピックアップして問題点を考えてみたいと思います。 まず、家庭詐欺連合の天一国憲法、第17条(権利)の部分を以下に引用します。 第17条(権利) 1. 天一国国民は法の前に平等であり、性別・年齢・身分・所有・人種などにより差別を受けない。 2. 天一国国民は法律が定めるところにより、選挙権と被選挙権を持つ。 3. 天一国国民は法律が定めるところにより、天一国関係機関に請願する権利を持つ。 4. 天一国国民は憲法と法律が定めた法官により、法律による裁判を受ける権利を持つ。 5. 天一国国民は三大祝福を完成するための教育を受ける権利がある。 6. 天一国国民は公職者になれる権利を持つ。 7. 天一国国民は訓読家庭会長と氏族メシヤになれる権利を持つ。 8. 天一国国民の基本的な自由と権利は憲法に列挙されていないという理由で軽視されない。 9. 天一国国民の権利は天一国の定着と完成のために必要な場合に限り、法律で制限できる。 注目したいのは、8と9ですが、8は「憲法に書いてなくても基本的な自由と権利を軽視しないよ。」という意味ですが、「軽視されない」というだけではいささか弱いという懸念があります。「否定、または軽視されない」とか「無視、または軽視されない」のようにはっきりと国民の権利を保護することを明記すべきではないかと思います。(なお、私は法学者ではありませんので文言として法的に正しいかはわかりません。) しかも、これに続く9の文で面くらいます。ここだけ再度引用します。

家庭詐欺連合のプロパガンダに物申す(「はげ頭と苺」編)

わたしが悩みのうちに、主に呼ばわると、主はわたしに答えられる。 「主よ、偽りのくちびるから、欺きの舌から、わたしを助け出してください」。 欺きの舌よ、おまえに何が与えられ、何が加えられるであろうか。 ますらおの鋭い矢と、えにしだの熱い炭とである。(詩篇 120篇 1-4節)  家庭詐欺連合がYouTubeにアップロードした阿部美樹氏による 真のお母様の生涯とサンクチュアリ教会問題 については、すでにいくつかのブログでも取り上げられていますが、今回は特に、 Cyberサンクチュアリ人協会の小林さんもこちらの記事 で取り上げておられる、 「はげ頭と苺」 からの引用について分析してみたいと思います。 基本的には、小林さんの言われている通りですので、同じ主張の繰り返しになってしまうのですが、「はげ頭と苺」を読んだことのない方にも分かるように敢えてもう少し突っ込んで取り上げてみたいと思います。 では問題の部分をおさらいしてみましょう。まず、阿部美樹氏は次のように語り、 阿部美樹氏:「我々祝福家庭の失敗や足りなさを讒訴条件にして、サタンは常に真の父母様もしくは真の子女様に対して多くの試練を与えてきました。七男の亨進様が書かれた「はげ頭と苺」の中で次のように真の家庭について表現されています。」

「聖殿の侍」の由来など

このブログを「聖殿の侍」とした経緯と、ブログを始めたきっかけについて書きたいと思います。 まず、名前には二つの意味があるのですが、それを説明する前にある個人的な証しをご紹介する必要があります。夢や啓示と言いますと、それが本当に正しいものかを客観的に判断するのは難しいと思いますので、あくまでも私がそうだと信じている内容であることをご理解下さい。

なぜ「天のお父様」と呼ぶのか?

みなさん、はじめまして。 神様との関係をより深く見つめまたいっそう深めたいという思い、また、インターネットの「荒野」に出てそこで戦うことに意義があるのではないかという思いから、ブログを始めました。 さて、今回のテーマは神様を「天のお父様」「お父様」と呼ぶことについてです。多くの方がテーマとして論じておられるとは思いますが、重要な問題だと思いますのであえて書きたいと思います。ご存じのように家庭詐欺連合(二代王は最近ほとんど Family Fraud としか呼ばれませんので私も王に倣います。)は、神様の呼称を「天の父母様」に改めました。それが始った時の私の感想から書きます。 昔、修練会で祈祷の仕方の講義を受けたときに、「神様は男性格主体だから『お父様』と呼ぶんですよ。」などと教えられました。それ以来、これは皆さんも同じでしょうが、ずっと「お父様」と呼んできたわけです。違和感を覚えながらもそれに慣れようとしましたが、どうにも心情が入らないような気がして結局、違和感が解消されることはありませんでした。